どうも、ねんごたれです。

歩き遍路を終えて3年近く経ちました。

それまで、お遍路のことをまとめていなかったのですが、こういう形でブログにまとめました。これを機に、いったい歩き遍路で何を得られたのか書いておこうと思います。

 

得られたもの3つ。
  1. 鍛えられた身体
  2. 読書の習慣
  3. 規則正しい生活

以上の3つですかね。

 

鍛えられた身体

歩き始めたときは63kgあった体重が、56kgに減量し、引き締まった身体と、40km歩いても傷まない足腰を手に入れました。

この3年間で、一生出場することなどないと思っていたフルマラソンに3回出場し、いずれも、4時間45分ぐらいでゴールしました。フルマラソンにでると、爪が割れたり、筋を痛めたりするといったことをよく聞きますが、全くそんなことはなく走り終わった後もきれいな足でした。ただ、筋肉痛には無茶苦茶なりましたが…。

 

読書の習慣

今までは自分の考えのみで、周囲の考えはあんまり聞かなかったと思います。しかし、お遍路をしていると、いろんな考えの人に出会いました。宗教、家族、自分、会社、友達、大切で譲れないものも人それぞれです。自分の考えや常識なんて、何億通りある中のひとつでしかなかったことに気が付きました。「だったら、1つの考え方に拘らなくてもいいよね。」ということで、だいぶ考え方に余裕ができたのではないかと思います。

詳しくは後述しますが、まずは本を読んでみようかな思いました。お金やら、仕事やら、小説やら、それまで全く読まなかったライトノベルに手を出してみたり、ネット小説を読んでみたりと、この3年間は読書の年だったように思います。

 

規則正しい生活

朝早く起きて運動し、夜ご飯を食べて早く寝る。

そういう生活を一ヵ月ほど続けたからか、生活習慣が正しくなりました。

大学時代は3回生ぐらいから1日18時間は寝ていて、起きている間は大学に行く。そしてそこで寝る生活をしていました。

今考えるともったいないことこの上ないですが、起きていられませんでした。サークルやバイトがある日など何か用事があるときは大丈夫なのですが、用事がないときは全くでした。自分で行動しようという考えがなかったんだと思います。何もない日は、「起きてご飯を食べてお風呂に入って寝る。」という生活。20時間ぐらい寝て、起きて、食材がなければ買いに行き、食べて風呂に入って寝る。ほぼ寝るために生きていたようなものでした。

それがもとに戻りました。ついでに、年齢を経るごとに1日が短くなっていく気がしていたのも元に戻りました。今は1日が長いです。できることや、視野が広がった分、新鮮なんだと思います。

 

得られなかったもの3つ。
  1. 屈強な精神力
  2. コミュニケーション能力
  3. 何かはわからないが、自分が変わるなにか

以上の3つですね。

屈強な精神力

もともと、精神が軟弱なので、『大学院の試験に落ちたら旅にでる。』と、そういう約束を父親としていました。で、落ちたので行くことに決定したのですが、親もほんまに行くとは思ってなかったらしい。引き留めるのを、振り切って出発したわけです。

10kgの荷物を背負い山を上り下りし、足が痛く、いつもならやめてしまう痛みでも歩き続け、トータル約1200kmを歩き通す。

そんな過酷な経験を積めば、鍛えられると思っていたのですが、全くそんなことはなかったです。今でも、心は打たれ弱いままです。

 

コミュニケーション能力

たくさんの人と話すことで、この能力が上がると思っていたのですが、上がりませんでした。

あのお遍路の白衣を着ていないと、人に話しかけることもできません。

 

なんかわからんが自分が変わるなにか

お遍路のあとで何か変わったかと言われると何も変わりませんでした。自分で比較するのは難しいので、家族や友人に話を聞いてみますが、変わったのは見た目(7kg痩せた)ぐらいのようでした。

自分の中に「普通に考えたらできなかったことが、できてしまった。これはもともとできることだったんだな。」という論理展開があるんだと思います。つまり、『変わらないことが分かった』わけです。

 

結局なにも変わってないんですよね。一ヵ月程度の経験じゃ、変われないです。

 

どうして3年経った今なのか。

お遍路から帰ってきてすぐは、なにが変わったのか自分ではさっぱりわからなかったです。

けれど、いろんな人から、「なにか変わった?」「得たものは?」「よかったことは?」と聞かれます。そのたびにすごく悩むわけです。

そんな一言で表せるようなことでもないし、結論を出せるものでもない。それでも聞いてくるのは、「その程度か。」と馬鹿にしたいのか、「その得たものが、失ったものに釣り合っているのかを勝手に判断したい。」からなのか。

どちらに転んでも、嫌な気しかしないので、仕方なく「筋肉!」とか言ってウケを狙ってみたりしました。決してふざけているわけではありません。その時は、それ以外に考えられませんでした。

学校で授業の合間に話すこともありましたが、生徒の反応はいまいちで、「先生暇人なん?」「鬱なん?」ぐらいなものでした。

そんな経験もあって、「いったいなんのために歩いてきたんだろう。」「「すごい。」っていって貰いたかったのだろうか。」「そんなことのために歩いてきたのだろうか。なにか変わるために歩いていたんじゃなかったのか。」と自問自答することもしばしば。

自分では答えが出せなかったので、いろいろな本を読むようになりました。『子どもの心のコーチング』『毒になる親』『考えない人』『自助論』『向上心』『7つの習慣』知的生き方文庫のあれこれ。茂木さんや養老さん、家入さんやホリエモンさんなど。お金に関する本や武術に関する本。自己啓発本など。1月に1万円ほどかかっていたのではないかと思います。

しかし、どれを読んだとしても「これだ!」って考え方がない。

それもそのはずで、『自分のことなのに、他人の考えを持ってくる。』というのがそもそもの間違いでした。

自分のことだから自分で考えて答えを出せばいい。その答えは違うと言われようが、知ったことじゃない。なぜなら、自分の考えなんだから。その後、他の人の意見も聞く。そのうえで、また自分の考えを出す。これがコミュニケーションだ。誰かの考えを自分が言うのは違う。

思ったことを素直に伝える。それで気を害したのなら謝る。』それでいいんじゃないだろうか。ってことに気が付いたのがここ最近です。

なので、まとめるまでに3年かかりました。

 

まとめ。

歩き遍路をして、よかったか、悪かったかですが、『もちろん、よかった。』です。確かに、お金や時間がかかります。僕は就活をせずに歩き始めたので、帰ってきてからは実家にいました。祖父に介護が必要になり手が空いている人が必要だったので丁度よかったといえば、よかったですが、履歴書に一年間の空白ができてしまいました。

終わってすぐの一年は、「行かなかったほうがよかったかな。」と後悔もしてました。なんせ、友人は皆働いているのですから。

まあでも、今ではあんまり気にしていません。就職することだけが道ではないということもわかりました。家にいる間、地域の人々とふれあう機会が増え、いろいろなことに挑戦してみる機会が得られたことも大きいです。もし、就職していれば、これほど地元の人々を知ることもなかったと思います。まして、親戚のことも知らないままだったかもしれません。本当に行ってよかった。

そして、考え方もすこし前向きになれた気がします。『なんでもやってみたら、そこそこできるものだ。』これに気が付けただけでも、儲けものだと思う。クオリティとか度外視でいいんですよね。そんなのはベテランになってからです。

 

最後に。

これからお遍路をしてみようと思う人は、ぜひ時間を作って通しで歩いてみてほしい。危険なこともあるかもしれませんが、自分がいったいどんな人なのかが薄っすらわかるようになるかもしれません。

自分はこの『のんびりで、人見知りで、話すのが苦手』なのは変わらないということがわかっただけでも収穫でした。