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どうも、ねんごたれです。

前回の『ぼくがひきこもりになったわけを考えてみる』の続きです。

勉強よりも人と話せるようになれ。

高校生活はなんだかんだ言っていじめもほとんどなく、のんびりと過ぎていった。ぼくの見えないところではいろいろあったのかもしれないが。

それで、受験シーズンになるのですが、ここで困る。ぼくは、就職じゃなく進学だったので、勉強だけしておけばいいと思っていましたが、違うことに気が付く。

そう、人と話せるようにならないといけない。

ぼくが住んでいるところは、結構田舎で、保育所から高校までほとんどメンバーが変わらない。だから、他の人がどんな人なのかわかるし、自分もわかってもらっているので、ほとんど話をしなくても大丈夫だった。でも、大学は違う。全員が知らない人だ。これは困った。

大学試験が近づいてきてから親に「人と話ができるようになれよ。」と言われる。そんな注意されたぐらいで、できるようになったら苦労はしない。

受験勉強中に、まずは声を出せるようにしなくてはと、就職や進学が早く決まった友達に協力してもらってカラオケに行くことになった。勉強よりもカラオケだ。ただ、勉強もおろそかにできない。うまいこと頑張るしかない。

そして、カラオケに行くが困る。曲を知らない。音楽を聴く習慣がないので、どんな歌があるのかわからない。音楽の授業でやったものぐらいしかわからなかった。

どうして、そうなってしまったのかと言えば、親に呼ばれたら聞こえるようにしなければならないからだ。小学生のころは、CDプレイヤーで音楽を聴いているときもあった。それで、親が呼んでいることに気が付かない。その頃は、音楽を聴くのが新鮮でよく聴いていたが、当然周りの音は聞こえない。それで、よく怒られた。音を小さくして聴いていたが、「音楽ばっかり聴かんと勉強しろ」と言われ、そのうち、聴かんでもいいかと思うようになった。それぐらいなら普通なのだが、問題は兄弟の中で、ぼくだけがそういうふうに怒られたことだ。他の兄弟はガンガンに鳴らしてても怒られない。なぜなら、親に呼ばれないから。このあたりは今でも変わらない。

それでも友達の協力もあり、なんとか一人で歌えるようになった。点数は60点ぐらいだが、まあ及第点だろう。人と話すことはできるようになったかわからないが、とりあえず、カラオケに呼ばれても大丈夫なくらいにはなったかなというところ。

趣味がない。

大学受験も乗り越え、無事に大学生になることができたが、大学生活はたいてい自分でやらなければならない。家事は全然問題ないが、趣味がない。それまで、まったくもって全力で取り組んだようなことがない。唯一ベースをしていたが、音楽を聴かず、譜面だけみて弾いていたので、自分で音楽を作るとかそういうのはできなかった。聞かせるところもないので、全然触らなくなった。たまに高校時代の友達と集まって弾くぐらいだ。

1年が過ぎたぐらいで、お菓子作りにはまる。大学生活はほぼ自炊していたこともあり、何かを作るのが面白い。甘いものが好きなこともあり、お菓子を作るようになるのは当然の流れだろう。シュークリームやガトーショコラ。チーズケーキなど。いろいろ作った。自分の誕生日には誕生日ケーキ。クリスマスにはクリスマスケーキ。ただ食べる人がいない。3食ケーキはさすがに飽きてくる。サークルに持って行ったり、大学に持っていったりした。なかなか好評でした。

そんな感じで大学生活はなかなか楽しかった。それで、大学を卒業し、遍路をして、実家に帰ってくるのですが、お菓子は作らなくなった。

いっぺんに大量に作れるので、3食お菓子になることもしばしば。そういう、ジャンクなことは実家ではできない。作っても、食べきれなくて腐らせてしまう。それならば、やらないほうがいいということでやらなくなった。

結局、趣味が無くなる。家に機械があるので、木工とかも面白いのだが、置く場所がないので必要なものを作ってしまえば、やらない。作ったのは、本棚と机ぐらいだ。

中途半端にいろいろできるが、これといったものがないので仕事にもできない。結局、教師をめざすことになる。

ぼくは教師に向いていない。

3年間、非常勤講師として授業をもたせてもらいましたが、そもそも教師に向いていないことに気が付いてきたわけです。「人前で話ができない。社交的でない。」というのは、教師になる上でデメリットでしかない。そりゃあ、そういう生徒たちの力にはなれるでしょうが、そんな生徒ばかりじゃない。いろんなタイプの生徒がいるわけです。それを一つの教室で授業するわけですから、当然いろんなことに対応できなければならない。ぼくみたいなひきこもりには、荷が勝ちすぎているんですよね。

たしかに、小さい頃は教師になるのが夢で、学生時代もわからないところがある友達に教えるのが楽しかった。けれど、それは勉強しようとしている友達だけだったことに気が付いてなかった。勉強が嫌いで、やりたくもない生徒に教えることの難しさといったらもうやばい。動物園とよく表現されていましたが、ほんまにその通り。調教師が必要なんじゃないか、とか思い始める。宿題をだそうが、この子たちはまったくもってやってこない。テストをしても、寝てたからやってないとかいいながら、平気で名前だけ書いてだす生徒もいる。高校生にもなって、九九はできないし、自分の住所も漢字で書けないし覚えていない。それで強く言えば不登校になる。これで、社会に出てやっていけるのだろうか。就職できるのだろうかとか思う。

でも、全然そんな心配はいらないのがびっくりだ。そんな生徒でも、きちんと就職して卒業していくのだ。「勉強ってほんまに必要なんだろうか。人と話ができればそれでいいんじゃないか。自分が楽しいと思うことをしっかり持っていればいいだけなんじゃないか。」と思い始める。「自分が周りとのかかわりや、楽しいと思えるようなことを断ってまで勉強に費やしてきた中高はいったいなんだったんだろうか、それだけの価値があったのだろうか、そこまでしたが就職できないのはどういうことなんだ。」という葛藤も湧き上がる。

こんなことを思っているような教師はいらないだろう。当然、勉強に身が入らなくなる。というか、鉛筆を持てば手が震えるようになった。こんなことは、初めてだ。たぶん、教師になるのを身体が拒絶しているんだ。それか、手で書くという動作をあんまりしなくなったから、力加減を忘れてしまったのではないのか。どちらかはわからないが、書けないというのは、なかなかに致命傷。

ひきこもりになると、人の顔と名前がわからなくなる。

特徴的な顔を持っている人は覚えやすくていいのだが、それ以外の人が覚えられない。覚えたと思っていても、別の場所で会うとわからなくなる。学校の先生や生徒に街中で会うとか、友達に約束してない場所でばったり会うとか、そうすると本人かどうかまったく確証がない。決められたところ以外にいると途端に自信が無くなる。

どうしてそうなのかは、たぶん顔をしっかりと見て話をしていないからだと思う。というより、目が悪いだけなのかもしれない。

ただ、いつも顔を見ているはずの親とか祖母とかもわからなくなる理由が思いつかない。この前びっくりしたのが、墓掃除に行ったときに、隣を歩いているはずの母が知らない人に見えたことだ。それに、一時期入院した祖母のお見舞いに行った時も、本人かどうかわからなくて戸惑ってしまった。声を聴くまでは確信が持てなかった。ひきこもりの弊害だろうか。人と話をしないと、ますます話せなくなるし、人の顔まで覚えられないようになる。

うむ、教師になれる気がしない。ひきこもりまっしぐらだ。

【あとがき】まとめてみる。

あとがき2
ながながと書いてきたが、最後にまとめてみることにする。

  • ほったらかしにされない。【現在進行形】
  • 勉強ができるようになるといじめられるが、勉強することを強いられた。
  • 勉強だけするようにしてきたのに、話もできるようにしなくてはならない。
  • 趣味をするような時間がない。
  • ひきこもりになると、ひきこもらざるを得なくなってくる。

ひきこもりなのに、自由な時間がない。いったいどういうことなんだ。その分ブログはいい。少しずつ打ち込んでいけるし、途中で切り上げることもできる。もっと早くやっておくべきだった。