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どうも、ねんごたれです。

「ひきこもりって、なんかすごいことができるじゃないか?」

と思ってるひきこもりです。自由な時間と豊富な知識及びネット。これだけあれば、なにか思いつきそうなものなのに、なにも思いつかない。考えるだけではダメということに気が付いた今日この頃。

ひらめきはいったいどうやって生まれるんだろう。

ということで、この本を読んでみました。

「ひらめきはカオスから生まれる」ってどういうこと?

本には『ネズミがもたらしたルネッサンスp,12』の部分に説明が書かれている。

話が長いので、大まかな流れを説明すると、

ペストの流行による急激な人口減少(ヨーロッパ人口の3分の1から3分の2が死亡したと推定)で大量の資源(服とか)が余り、それを使って復興していくなかで、さまざまな必要が生じた。また、「ペストが神からの罰だとするならば、聖職者や敬虔な信者がかかるのはおかしい。」という考えが広まり、信仰がゆらぐ。富裕層が教会ではなく子孫のために資金を研究施設に寄贈しはじめる。そして、大学が設立され、人文主義に触れる機会が出てきて、過去の知識を習得するようになる。その知識をもった人材がさまざまな場所に採用されることで、組織や集団に『異分子』が混じることになり、発展していく。

その後の一五〇年間(人類の歴史にとっては一回のまばたきに等しい)で、ヨーロッパは新世界を発見し、印刷機を発明し、油彩画を創始し、眼鏡を考案し、著作権法を確立し、世の酒飲みの喝采を浴びるように最初のウイスキーを蒸留した。さらにその後も、ニューロンの万有引力の法則、近代的な銀行制度、市民革命、産業革命と、飛躍的な革新を次々と引き起こしていったのである。p.16

どうして、こんなにもヨーロッパが急激に発展できたのかについて著者は、「ペストが社会に『余白』を生み出したからだ」と言っている。

詳しい流れや解説は本を読んでもらうとして、大事なのはこの『余白』だ。

カオスは、まず「余白」をつくり出す。そして、それが「異分子」の入り込む余地となる。そこから、思いもよらぬ結果が生まれる。私はそんな不可思議な現象を、「計画されたセレンディピティ(偶然)」と呼んでいる。p.27

つまり、ひらめくためには、自分の中に「余白」を作りださなければならない。ということだ。

なるほど

ということは『ひきこもり』って人生の余白って考えられないかな。あとはそこに異分子を放り込んであげれば「なんか」ひらめくんじゃないだろうか。

『異分子』については、すぐには思いつかない。

その前に『カオス』ってなんだったんだろうか。

カオスって社会の秩序か?
 私たちが通っている組織や会社、学校では、似たような規律や秩序が支配している。私たちは一日を無駄なく使う方法を学ぼうと、研修を受けたり本を読んだりする。…昨今では子供でさえそうだ。学校が終わっても、サッカー、バレエ、ピアノと、朝から晩までスケジュールがぎっしり詰まっている。チームの練習試合や遊びの約束もある。現代人は、そうして時間を最大限に活用し、日々の暮らしに最大限の秩序をもたらそうと奮戦している。しかし、そこには深刻な犠牲がともなうことに気づいていない。…規律に縛られた暮らしは、豊かで自由な創造性や革新性をどこかで抑圧してしまう。

社会や学校にいくとやることが多い。

自分でも「なんか新しいことができそう」っていう気が無くなる。それが嫌でひきこもってる人も多いんじゃないだろうか。

ぼくはちょっと違うくて、社会でやっていく自信がないからひきこもっている。そういう「自分にできることがない」あるいは「自分じゃなくてもいい」という思いも、実は『なにか』が抑圧されているからでてくるのだろうか。

うん、自分のことはよくわからん。話を戻そう。

ひきこもりを『余白』とするならば、『カオス』はそれを生み出したものだから、この社会の秩序が『カオス』ってことでいいのかな。

それか、ひきこもりを選択した自分自身が『カオス』ということだろうか。

この本には『カオスが余白を作りだす』というふうにはじめに書いてあるが、本を読んでいくと、いつの間にか『余白の中にカオスを作る』ことになってるのが、よくわからんくなるところだ。そういうカオス的な部分を意図的に書いているのだろうか。謎だ。

とりあえず、『余白』をどうするかってことかな。

脳は「余白」をうまく使っている。

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引用する前に語句の説明を書いておく。

『デフォルト・モード・ネットワーク』とは、人間が特定の課題に取り組んでいないとき、つまり脳が「余白」の状態にあるときに、自動的に活動する脳の部分。

これがいったいどうしたのか、引用していく。

デフォルト・モード・ネットワークは、この脳内ストーリーをたえずつくり出している。とりこんだ情報にたいして、こんな質問をくり返しているのだ。この情報にはどんな意味があるのか?これまでの経験とどう違うのか?どの経験と似ているか?この情報によれば、これからどうなるのか?

そうすることで、「膨大な視覚情報にたいし、それを処理するエネルギー量を効率化している」と書かれている。そして、もう一つ重要なことをしている。

デフォルト・モード・ネットワークの活動を通じて、毎日とりこんでいる膨大な量の情報を結び付けている。それは、情報の取捨選択をおこなうだけではない。単なるデータや情報の橋渡しをし、それらをつなぎあわせ、世界の把握を促す。

こうやってみてみると、このネットワークはすごい便利。得た知識を勝手に結び付けてくれるのだから。ただ、問題があるらしい。

このネットワークが無意識に働くということだ。データの情報の結びつけは、意図的におこなうことも予測することもできない。

つまり、いくら便利でもいつ発動するかわからない。遊戯王で例えたら、「めちゃくちゃ便利なトラップカードだが、伏せたあとは自分で発動できないし、発動するかもわからない」と。

めちゃくちゃ、使いにくいな。

そこで「余白」の出番となる。「余白」は、新たな結びつきをつくり出す。課題に熱心に取り組んでいるだけでは思い浮かばない斬新な解決策が生まれるのはそこだ。

ああ、だから仕事以外の時間が大事なのね。『早起きは三文の徳』とか、あえて余白の時間を作りだしているわけか。ふむふむ。昔の人の知恵はすごいな。その点、今の日本は、仕事ばっかりで「余白」が足りないっぽいな。

ひきこもりは「余白」たっぷり?

その分ひきこもりは「余白」しかない。ように見える。

「余白」たっぷりの人もいるだろうけれど、そんな人ばかりではない。

ひきこもりって、結構いっぱいいっぱいなんだよね。

周りからのプレッシャーもあるし、「あれをやれ、これをやれ」と言われ、それに対しての不満や、できないことへの自己嫌悪、どうしていいのか自分ではわからないことで頭がいっぱいだ。「余白」なんてかけらもないだろう。

それをわかっていない人がおおい。ぼくもひきこもる前はわかっておらず、一時期ひきこもったいとこにつらいことをしてしまったなと後悔している。

だったら、どうすればいいか。

脱走するしかない。

今とは違う場所に行ってみるということ。それが「余白」を生むことになる。

今ある自分を束縛しているものからの脱走だ。それが「異分子」に触れる機会になる。

だから、自分探しの旅とかが流行るんだろう。

ただ、注意しておきたいのが、1か月とかそんな短い時間で帰ってきてしまうと、意味がないということだ。実体験を通じてそう感じる。ぼくも歩き遍路をして、多少アクティブになったが帰ってくると元に戻ってしまった。

帰ってくるということは、再び束縛されにきたということと同じだ。

ひきこもりは、家からでて違う場所に行かなくてはならない。それも、自分のことをしらない人たちのところへ。

そこで、新たに知識を吸収していけば、すごいことが生まれそうなんだけどな。

ただ、足踏みする理由としては、行ってもやることがないということだ。

そりゃあ、仕事を与えてくれるならば、それでいいが、もともと仕事ができないからひきこもっているわけで、なかなかハードルが高い。

だから、とりあえずブログを書いてみる。

自分というのをブログに移して、それを見て自分を知ってもらう。また、改めて自分を確認する。

まずは、そこからなんじゃないかな。どんどん書いていこうと思う。

【あとがき】ひきこもりについては一切書かれていません。

あとがき2
ひきこもりの話ばかりを書いたが、この本にはいっさいひきこもりについて書かれていません。もし読んでみようと思った人は気をつけてください。

何が書かれているのかというと、『カオス』をうまいこと使って発展してきた事例がたくさん載せられています。なかなかおもしろいので、一見の価値ありです。