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どうも、ねんごたれです。ひきこもりです。

「ひきこもり」ってどうも印象が悪くないですか。ぼくなんか、ちょいちょい非常勤で働いてますが、ほとんどひきこもってます。今学期も期末テストが終わり、9月までは仕事なし。その間給料は0。自分は、なんとかなるだろうの精神でおりますが、周りからは印象がどうもねえ。

そして、家にいると、ごちゃごちゃ親から言われます。まあ、ぼくは気にしないことにしてます。一貫性のない会話をひたすらされるとどう対応していいかわからなくなるんだよね。「将来、家に居ってもいい。」と言われたり、「働いて出ていけ。」と言われたり、「先生になれ。」と言ったり、「先生ってしんどいけんやめとき。」と言ったり。ほんまに右往左往してる。反復横跳びしているんではないんだぞと。結局は自分で決めろってことなんでしょう。「それならそれで、ほっといてくれればいいのに。」と思うわけです。親の言葉って影響力がすごいから、ちょっとは考えてほしいものです。

 

ひたすら家にいることを強いられる。

小学生のころはまだよかったですね。まあ、門限は17時でそれまでに家に帰ってました。田植えや、稲刈りの仕方などの簡単な部分を「覚えておけ」ということで、よく手伝ってました。周りからは、えらいなあと言われ、よく手伝ってましたが、これがダメだったのではないかなと思う。

中学校に上がると勉強勉強。テレビ、漫画、ゲーム全部禁止で、友達と遊びに行くのもほとんどない。夏休みは、稲刈りに、春休みは田植えの準備。それ以外はほとんど勉強。当然友達と話す話題もほとんどない。まあ、隠れてハンゲームをしていましたが、それぐらい。親が帰ってくるとできなかった。テレビももちろん禁止。そのころは「学校へ行こう」という番組が流行っていましたが、さっぱりわかりませんでした。でも、友達がしっかりした人だったので、そんなぼくでもなんとかやっていけてました。

高校もだいたい同じ。部活に入っていたので、それで家を出るぐらいで基本はひきこもり。だいたい、呼べばすぐかけつけることができる距離にいないと、あとからごちゃごちゃ言われる。そんなこんなで、遊ぶのは親の目を盗んでというのが普通だった。それで、大学に入るとなると心配になる。「人と話せるようになれよ。」といわれたのは衝撃。今思えば、「いったいどの口が言っているんだ。」ですが、当時は「はっ、確かにやばい。」という思いしかなかった。受験勉強シーズン、早めに決まった友達とわざわざカラオケに歌う練習をしにいったのはいい思い出。初めは人前で歌うなんて苦痛でしかなく、一人で歌えないので友達と一緒に歌って練習。なんとか一人で歌えるようになる。採点だと60点ぐらいでしたが、まあまあかな。

ここで、困ったのはどれを歌うかだ。音楽を聴く習慣がない。まず部屋で音楽を聴けない。親が呼べばすぐに部屋からかけつけないといけないので、音楽をかけれない。必然、どんな歌があるのかわからない。これでよく中高吹奏楽部でベースをしてたなと今更ながら感心する。友達の歌を聞いてマネをする。もとの曲は聞いたことがない。コピーのコピーという感じで歌ってた。今でもあんまりかわらない。

大学は用事がなければ、ひきこもっていましたが、サークルに入り、友達にもめぐまれました。何より親から離れたのが大きいと思う。家の用事もないし。困ったのは、空き時間することがなかったこと。アニメかゲームかしかない。ブログもちょこっとしてましたが、本格的にはやってなかった。今思えば、ブログなり、株なり、アフィリエイトなりしておけばと後悔している。

 

親から「非国民」と言われる。
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高校生のときに、テレビに出てきた人の名前がわからなくて、親に聞いたら、「お前、そんなんもわからんの。非国民やな。」と言われたのは衝撃だった。テレビを禁止したのは誰だったのかをもう忘れているのか。このころから、親はなんかおかしいなと思い始める。まあ、小学生のときに、「ゲーム脳になる」とかわけのわからない理由でゲームを禁止したときから、うすうす思っていたが。

そもそも、3人兄弟の中でぼくだけがそういう生活を強いられていたのがおかしいことにもっと早く気が付くべきだった。兄は遊びに行き、妹も遊びに行く。ぼくは家の手伝い。漫画を買う。売られる。妹が漫画を買う。売られない。いったいどうしたわけなのか。風呂掃除やご飯の手伝いなども含めた家の用事もすべてぼくが呼ばれる。呼ばれたらすぐにかけつける。でないと、怒られる。理不尽。

兄弟の中でぼくだけ、ひきこもり気質になるのは当然だろう。なぜなら、そこにいないといけないから。まるで、座敷童のようだと思っている。そのうち、妖怪化するのではないか。

「他人のためにつくすことはいいことだ。」というふうな話を美談めいてきくのですが、ただの呪いだと最近思うわけです。親切な弱者をいいように使う言葉だと。

本は何も強いてこない。ただ、あるだけ。

本はいい。何も言ってこない。ただ、好きな時に読めるし、日にちをおけば、内容が変わるなんてこともない。ただただ、同じことが書いてある。それだけで安心できる。ひきこもりは、ダメな状態なんだという意識があったが、ある本を読んで変わる。それが、吉本隆明さんの『ひきこもれ』だ。

一人でこもって過ごす時間こそが「価値」を生む。…はたから見ると何も作りだしていない、意味のない時間に思えても、本人はそうではないのです。

これを読んだとき「ああ、この人はひきこもりがどういう人なのかをよくわかってらっしゃる。」そう思いました。読んで行けばいくほど、心に響いてくる。そのままでもいいんだという自己肯定感がわいてくる。

「正常」の範囲を狭めてしまうから、つらくなる...世の中にどんどん出張っていく社交的な要素と、ひきこもりの要素。…あまり極端になって、どちらか片一方の要素がまったく消えてしまうということになると、それはもう医者に任せるよりほかにないということになりますが、誰だってどちらかに傾いているのであって、「正常」ということを、あまり狭くとらえる必要はないのです。

どちらも正常なんですよ。ひきこもりだけが悪いわけではない。もともとそういう人は少なからずいたんです。お百姓さんなども含めた職人の方々もそうでしょう。それが、いつの間にか社交性ばかりが求められるようになってきた。誰にも声をかけられず延々と技を磨くということができなくなった。お金にならないとやっても意味がないように思われてしまう。そんな世の中になったのが異常なんです。

  • 「引っ込み思案は駄目で、社交的なほうがいい」なんて嘘です。
  • ひきこもりは「善悪」とは関係ない。
本から引用

それがわかっただけでも、だいぶ楽になった。でも、そんな異常な中で生きて生きづらいんですよね。なによりもお金を稼がないとダメなんです。周りを納得させるために、まずはお金がいる。そこは変わらない。

 

吉本隆明さんが子育てで気を付けた、たった一つのこと。
…それは「子どもの時間を分断しないようにする」ということです。くだらない用事や何かを言いつけて子どもの時間をこま切れにすることだけはやるまいと思っていました。勉強している間は邪魔をしてはいけない、というのではない。遊んでいても、ただボーッとしているのであっても、まとまった時間を子どもに持たせることは大事なのです。一人でこもって過ごす時間こそが「価値」を生むからです。...お使いを子どもに頼むくらいなら、自分で買い物かごをもっておかず屋さんにでも何でも行くようにしていました。...つまりそれだけひきこもる時間というものを大事に考えてきたということです。自分の時間をこま切れにされていたら、人は何ものにもなることができません。ゆくゆくはこれを職業にできたらいいな、と思えるものが出てきたらなおのこと、一人で過ごすまとまった時間が必要になります。

ああ、納得。まとまった時間てすごく大事ですよね。それが何も生み出さないとしても、何かを考えているわけですから。いま現在ひきこもっている人って、今までに時間をこま切れにされてきたんじゃないかと思います。親の手伝いとかよくやってたんじゃないですか?自分からやるのは問題ないですが、呼ばれてするのは心に来ますよ。特に手伝おうとして、あとちょっと経ってからとか言われて待たされるとやばいです。待ってる間に違うことをし始めると、早く手伝ってとか。まあ、そんな親も小さいころそうやって育てられたんでしょうがね。

すぐに動けるように常に準備しておく。そんなことをしていては他のことができないでしょう。そう考えると学校の先生は大変だなと思う。常に臨機応変。いろいろな仕事を平行してこなし、生徒の相手もする。そら鬱にもなりますわ。上手に手を抜ける人だけが生き残れる世界な気がして仕方がない。

 

【あとがき】ひきこもりは悪くない。

ひきこもりは悪くない。ただ、勘違いしてはいけないのが、「えらい」わけではない。ひきこもりだから、保護されなければいけないとかそういうのは違うということ。ただ普通なだけだ。

この本には、他にも不登校やいじめについて書かれている。今がつらい人は、これを読んですこしでも心が軽くなればいいんじゃないかな。